岡山 KUKKA

Aさんの体験談

Aさんの体験談

  • 不登校-我が家にやってきた贈り物
    娘が中一の9月…不登校の風が我が家に吹き込んできた。予期せぬ事(小学校では皆勤)だった。「お腹が痛い、頭が痛い」で、始まった。
    いじめがあった?セクハラ?娘の話を聞いていると、辛かった。「そんな学校行かなくて良いよ。」と言いながら、この状態はいつまで続くのだろう…不安、主人とはケンカになる事も多かった。「困ったな~」「どうしてそんな子になったん。」「大変ね。」と、いろいろな人に声をかけられた。子育てを批判されているように感じた。この子を守るのは私しかいない。今になっては、自暴自棄になったいた、と思い返す。守らなければと思いながら、自分自身も娘を責めていた。でも元々の性格が、-どうにかなるさ-2年になったらクラスも変わるし-どうにかなるさ-
     2年になっても行けなかった。褒めたり賺(すか)したり、ニンジンをぶら下げてお尻をたたいたり、服を無理やり着せて無理やり車に乗せて学校の前まで連れて行き、今思えば寒気が走ります。学校へ戻したいがために、こんな事をしていた私は、無茶苦茶な母だったと思います。どんなにしても、行かないのだと、ひょっとしたらこれが世間で言う-不登校?-情報をと本を読むようになった。講演にも行った。学校内で「不登校の親の会」が発足しようとしていた。2回目にも誘ってもらった。フリースペースぐーちょきぱぁの存在(フリースペースという言葉もその頃知った)。同じ思いのお母さんのお話、親の会やかけはしで優しく話を聞いてくれる先輩やアドバイザーの先生方に、色々な気付きを頂きました。色々とお世話になりました。
     3年になってもやはり行けません。修学旅行(本人が行きたい)に行ったけど、学校は行けなかったな~やはり。どこかに、「これが出来るのだから学校も行くだろう」と思っていました。娘に「まだ、そんな事言っとん。いいかげんに諦めたら」と、言われました。生意気ですよね。娘は、自分で自分を見つめていたのでしょうね。その頃から、同じ行けないのなら、暗い毎日を送るより楽しもうと思いました.せっかく休んでいるのだから平日でないと行けない所へ親子で出かけました。「子どもは、いずれ親の手元を離れていきますよ。今の親子の時間を大切にしたら」と、いってくれた方がいました。元来が、-どうにかなるさ-ですから…自分の都合の良い様にとります。その頃からかな「楽しい不登校生活」が、私のキャッチフレーズになっていました。そうすると楽しい事楽しくなる事を、親子で探しました。…ふれあい教室へ行けるようになり、高校は行かないと言っていた娘が、オープンスクールへ行き、そこで気分が悪くなって動けなくなった娘が、高校へ行く準備を始めました。ふれあいの先生、中学校の先生に面接の練習を誉めて頂き、大きな自信になりました。その時の自信が、後のアルバイト・就職の時の面接に役立ちました。
     今は、仕事に行き、税金・社会保険も払い、貯金もしている様です。車にも乗り、私や祖母の病院やお買い物にも、付き合ってくれます。父と映画にも行きご機嫌伺いもしてくれます。時には、私の愚痴も聞いてくれ、的確なアドバイスも…兄には、「あんたの言う事は説得力がある」と、人生相談にも乗っています。泣いて炬燵布団に頭を突っ込んでいた姿を、炬燵を出す時期になると思い出します。
     辛かったよな-不登校-に気づくまで。-不登校-しないに越したことはないけど、我が家にとっては、必要なことだったのだろうと思います。人の優しさ、家族のきずなの強さ、教えてもらいました。辛かった時、分かってくれた人たち、話をきいてくれた人たち、そこに行けば誰かが居てくれた事が、今の私たちがあるのだな~と感じます。感謝です。何かお返しして行きたいと思った時、KUKKAの様な会があればと感じました。『そう仲間があるのですね』これからも、私たち親子が感じた事を、出来る事に変えていきながら、何かお役に立てればと思っています。私にも出来る事があるみたいです。私のライフワークができました。-----「ありがとう」不登校-----
      良かったのよね!  娘が『不登校』を運んできてくれました。
              -------どうにかなるさ~の母より------

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